カタコト会話deルーマニアの旅。


★8/9 ニャムツ城塞★

【遅いランチを】
一向は一旦エレナさん宅へ戻ります。ここでランチ。
またまた魚のペーストをモリモリ食べました。
だっておいしいんだもん。

昼ごはんの後に連絡先の交換。
帰国したらお世話になったお礼に、日本的なものを贈ろう♪
エレナさんは午後から美容院の予約があるので、ここでお別れです。

「ううっ」とジーンときたのですが、エレナさんが笑顔で「メールするわ〜」と
言っていたので、自然と私も笑顔で「ではまた〜!」と挨拶ができました。

【ネットカフェ】
しばらくメールしていないね、という事でネットカフェへGO。
家族へ全てオーライとメールをして、ちょいちょいとブログを更新。
誰かがO-Zoneの曲、Dragostea din tei(恋のマイアヒ)をPCで再生させていました。
おおっ!

【ニャムツ城塞】
すぐに次の「5つの修道院」へ向かう予定だったけれど、
近くにあるニャムツ城塞も必見だという話をエレナさんから聞いたので
立ち寄ることになりました。
この城塞もシュテファン大公ゆかりの史跡★

ゲートでチケット&土産を売っていたおじさんが色々と
この城塞について教えてくれました。
Raduさんが英語に訳し、さらにヨーコさんにそれを和訳してもらいました。

シュテファン即位以前からこの城塞はあったのですが、
トルコとの戦いに備えて彼が補強し、難攻不落とせしめたのです。
さぁその難攻不落ぶり、とくとご説明いたしましょう!

●その1 トルコ兵は高所恐怖症!
シュテファン大公の治世、だいたい15世紀頃というのは、
それはもうオスマン=トルコ帝国が圧倒的な勢力を誇りっていた時代。
砂上において右に出るもの無し!東ローマ帝国の首都陥落もお手の物。
しかし天は二物を与えずなのか、どうやらトルコ兵は高いところが苦手らしかった。
そこでシュテファン大公は城門までの橋をおそろしく高く、狭くしたそうです。


この橋の高さ!しかも妙に木材が古そうで、ちょっと怖かった…。
さらに、当時はこの手すりすらなかったという。
トルコ人じゃなくても、ちょっとびびる。

●その2 右から矢の雨
さてさて、兵士の武具と言えば?
右手に剣、左手に楯がオーソドックスではないでしょうか。(左利きは…知らん)

トルコ兵が城へ攻めてきた時、城壁の向こうから矢を射ます。
それが位置的に、敵から見て右側から矢が流れてくることになります。
楯は左手なので、左から攻めるより防御は甘い。
考えたなぁ…。

●その3 落ちたら剣山地獄
さて、右から矢が飛んできて「うわあ〜」と落ちるのは
自然と左側になると思われます。(まぁ右に落っこちちゃう人もいただろう…)
橋の左側には、竹か木で作った串が鋭く上を向いていました。
もちろん、今はもうありませんが、ようするに剣山地獄!
ここに落としてトドメということなんですね…。
考えたなぁ…。

●その4 まだまだ!落とし穴
まだまだトラップ(?)は続きます。
右から流れる矢を逃れ、左側に落ちることなくやっと城門までやってきました!
(書いていてトルコ兵の気持ちになってきた…)

「ぃよし!攻め入ったるでー!」と勇んで前進したら……落とし穴!
しかもけっこうなキャパシティがあったと見られます。
下の図のように、橋がシーソーのようにしておきます。

まだまだシーソー床は動きません
   ▼

前進するにつれて重心が…
   ▼

落とし穴へゴー!

穴に落っこちたトルコ兵は捕虜となり、井戸(100m!)を掘らされたそうな。
その井戸は城の中に残っていますが、今はだいぶ浅くなっています。

というのも、トルコ宗主権下においておバカな王様が
「城塞を破壊したいから設計図をヨコセ」と言われて本当に手渡してしまったものだから、
壊されちゃったんです。で、そのガレキを井戸に埋めていったと…。
今もその設計図はトルコにあるらしい。ので、再建しようとしてもできないのだそうだ。

おおっと、話をシュテファン大公へ戻そう。

なんと、この城塞の兵士は50人、対してトルコ軍は何と10万人だったとか。(誇張入ってない?マジ?)
この人数で戦って、城を守るんだからスゴイなぁ。
しかも、この城の補強事業、石など建材がバケツリレーで運ばれたというからビックリ。
もっと効率的な運び方はなかったんだろうか…(^^;)

それと、当時はシュテファンの財宝を収める部屋があったらしい。




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