タイ〜初めての一人旅 初めての一人旅は、もうすこしバックパッカーっぽくなりたくて、
貧乏旅行の聖地(?)タイに行くことにしました。
正直不安と楽しみ7:3。いや、8:2だったかも。

気候が温暖な(むしろ暑い)地域は初めてで、お腹の弱い私は下痢しないか…とか
拉致られたり、本格的な犯罪にめぐり合ってしまわないだろうか…とか
マリファナでぐるぐるイッタ人に絡まれないだろうかとか。
今思えば、こんな偏見だらけの保守的な頭でよく行けたもんだ。
それはひとえに、「色んな世界を見たい」気持ちが大きかったんだと思う。
見たことの無い南のアジアの世界。


飛行機に乗るのはもう慣れたものだった。ただ、初めて南回り線からのボーディング。
トイレに言って、手を洗う。鏡に映る自分を見る。
隣には、化粧もバッチリ、高級ブランドのスカーフを巻いた、
一糸乱れぬ姿の免税店の店員。

それに比べて、私の格好ときたら、前回の旅行で洗いまくってヨレヨレになったTシャツに
ジーパン、帽子、どでかいリュック、履き古したスニーカー、とどめにスッピン。
ちょっと恥ずかしくなったけど、でも、これが私の自然な格好。
普段ではミニスカにヒールのあるミュールやブーツを履くけれど、
自分をさらけ出して旅するんだから、ありのままでいい。
リップとか、マスカラとか、化粧直しなんて気にしない。
暑い国で汗を流せばきっと自分の弱い部分が幾分か、一緒に流れてしまう、そう思った。

私は外国へ行くとちょっとした思想家になるようだ。
多分、普段は急ぎ足で生きているから、ふと、足元を見つめたりするからなんだろうなぁ。
私より豊かな人、そうでない人。私より長生きしている人、そうでない人。
私よりタフな人生を送っている人、そうでない人。
色んな人の集まりを見て、これから私はタイで何を見て、何を思うだろう。
「青年は荒野を目指す」私にとっての荒野は、ロシアだったかもしれないし、
ここにもなりうるかもしれない。

南国のビーチに行くような晴れ晴れとした解放された気持ちは、まだ持ち合わせていなかった。
それが、私の初めての一人旅の心境だった。


1日目は、流石に移動だけだった。でも、たった1日なのに、私と関わった人間は多数。
フライトアテンダントに、隣に座っていた宝石商、ツアーのおっさん、駅で一緒になったお兄さん、
イミグレ、トイレの管理人、インフォメーション、必死な客引きなどなど。
この世の中には色々な人がいる。

タイの子供達は元気だった。空港からバンコク中央駅まで列車、車窓を眺めると、
「これが家?粗末なつくりだなぁ」という、戦後の日本を思わせる家ばかりが見えた。
ドロまみれになって遊ぶ子供達。それを眺めてうちわをパタパタさせる女。
裸足で寝転がる老女。屋台をきりもりする男。ぐちゃぐちゃの地面。
今までバロック式だのビクトリア調だの、そうそうたる建築物を見てた私は、
正直、ショッキングな光景だった。
それでも、数分そんな景色を眺めているうちに、それに慣れてきた。
この人達が、タイの最下層でも標準でも、どっちでもいい。
ただここで生活しているだけだ、と。それを見ているだけだ、と。
そして自分が恵まれているんだと感謝した。

蒸し暑い列車の、天井につけられた扇風機から爽快な風が少しだけ私に届いた。

駅を降りると、生身で見知らぬ街に放り出された事になる。
時刻は6時を回っていたと思う。もう日が沈みかけていた。
露店に売ってるものが気になるが、もっと気になるのがホテルだ。
自分で探すには時間が無かったので、インフォメーションで予約してもらっていた。
大袈裟かもしれないけど、駅を出た瞬間、現地の人の視線を浴びたような気がした。
ちょっと怖くなった。もともと暗いのは好きじゃない。
とっぷり日が暮れてしまう前に、ホテルの部屋に篭りたくてしょうがなかった。

ホテルの部屋は2人部屋だった。1つ余分な枕を見ると、寂しくなった。
数日前まで、のび美とあちこち回っていたのだから、一層寂しくなる。
エディンバラの時とは明らかに、1人でいることの感じ方が違う。
大きなベッドを占領して大の字に寝転がる。
「私は本当に一人ぼっちなんだろうか」


街に出ると、そんなことはどうでもよくなってきてしまう。

目に映るものが全て新鮮だからだ。カオサンまで歩いていく。
大変だったけど、一歩一歩が観光だった。
チャイナタウンを通った。落ち窪んだ、淀んだ目の老婆を何人か見た。
人生に疲れきっているような、苦労ばかりしてきたような、
負の人生を圧縮したような婆だった。目が怖かった。
何で怖かったのかは分からない。お金を取られる、とかいう恐怖心ではなくて…

炎天下の下、かなり歩いた。軽かったはずの荷物(今回は5キロくらい。ロシアでは10キロ超過)が
私の凝り性の肩を痛めつけ始めた。のどだって渇く。排気ガスが直撃する。
けっこう、しんどい。でも、体育会系でもないのに、このしんどさが逆に楽しくなってきた。
何せ、見るもの全てが新鮮だから。

カオサン通りに近づくと、道路がいくつも混じっているポイントに出た。
いよいよどの道か分からない。

ここで日本人の男の人を見かけたので声をかけた。
道を聞いただけなのに、宿探しまで手伝ってくれる事に。
私は、人の好意に甘えて、ここまでやってきたのだ。それは旅行だけじゃないはず。

荷物を背負って歩きつづけた私の顔には疲労が浮き彫りにされていたらしく、
彼から「顔が死んでるよ、荷物俺が持とうか?」と言われてしまった。
自分でできることは自分でしたかったので、その言葉は断った。
だけどフラフラ歩く私を見かねて、後ろから車が来るとこっちに腕を引っ張ってくれた。

日に焼けた大きな手。握力。体温。自分の腕を白く細く感じた。
そう言えば、私、好きになった人以外の男の子の手とか背中とかのの大きさって
男の子として、今まで意識した事がなかった。
その瞬間、その人がとても頼もしく思えてきた。

宿が見つかると、その人は一期一会と言わんばかりに別のところへ行ってしまった。

決めた安宿は、1泊300円にしてはキレイな中庭のある宿だった。
部屋に入ると、びっくり、の後に納得した。「やっぱこんなもんだよね。そうこなくっちゃ」と。
狭い部屋に木の机、椅子、(これがあるだけいい)ボロボロ穴だらけのマットレスを乗せた
パイプベッド。落書きだらけの壁。ガラスの張っていない窓。ガタガタのドア。
カバーの外れた扇風機、これはちょっと怖い。
でもこれが貧乏旅行のスタンダード(机椅子はワンランク上だよね)だ。

私の泊まった宿には、商用でタイに滞在している日本人のおじさん(ヤマさん、ルンルン)
がいて、いろいろなタイ事情を教えてくれた。
家と言いがたい家で暮らす人達が、頭によみがえった。

私たちは貧乏旅行のつもりでも、現地の人達にとっては金持ちなんだ。
彼らの一日の収入を、私たちは一日で使い切ってしまう。
旅行者は、どんな赤貧な旅でも、結局は娯楽を楽しむ余裕のある、裕福な「貧乏ごっこ」なのだ。

かのマリー・アントワネットが邸宅を建てる際、あえて豪華絢爛でなく、
田舎風にしつらえたのと、変わらないんだと思った。
そして、私たちのような肌の白さは、金持ちの証拠だとか。
理由は簡単、外で汗水流して働かないから、日に焼けない。移動も車だから日に焼けない。
テレビに出てる人達を見ると分かる。彼らは、私が2日間見た現地民よりも、
(化粧のせいもあるだろうけど)はるかに白く、同じ国の人とは思えない。
顔は細くても、どことなくふっくらと豊かで、私の見たタイ人は細くほほこけていた。

富める者とそうでない者。
ヤマさんは「昔の日本もこうだった」と言った。
私は恵まれた時代に生まれたんだ、と感じた。
バンコクは著しく発展している。きっと十年後、数十年後、今の日本みたいになるだろう。
その時代に生まれた世代は、今のタイを知ることなく、自国より物価の安い国へ
貧乏な旅行を楽しむのだろうか。



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